「沈黙」のデザイン論 (非構成エンカウンターグループで起こったこと1)

さて、非構成エンカウンターグループの概要を紹介したところで、今回からは実際に非構成エンカウンターグループを体験したときのことについて、3回に分けて書いていきたいと思う。

ワークショップは全部で3時間だったが、前半の1時間半は場を沈黙が支配していた。沈黙とはいっても、もちろん冷房の音は鳴り響いているし、くしゃみをすれば音はでる。しかし、言語を用いた発話というものは、ついに行われることがなかった。

その沈黙の場の中にいて、僕は次のようなことを思った。すなわち、対話は言語を介さずとも行えるということである。例えば、向かい合った相手を無意識に同じ動作をしてしまったり、落ち着かない気分になると指が何かしらの動作をせずにはいられなくなったり、目線があってしまうと発話せざるをえなくなってしまうかもしれないという恐れからか目線を外してしまったりと、行動そのものは雄弁にその人の状況を伝えている。それは、感情は意識化されずとも存在はしており、それを意識化して語るか、意識を介さずに動作となって現れるかは、受け取り手の観察眼の問題であることを示している。

社会学のコミュニケーション論(ミードなど)を学んだことのある人なら分かるように、コミュニケーションはキャッチボールのように送り手の意図によって意味が決定されるのではなく、記号を媒介にした相互作用が意味を決定するのである。それは記号なら何でもよいのであって、なにも言語に関わらない。意図が伝わっていないことは対話が成立していないことを示さないのだ。


 

<沈黙のデザイン方法>

のちになぜここまで沈黙が続いたのか、参加者による検討がなされたが、そこでの意見を踏まえつつ、僕なりにその問いへの答えを整理すると、次の3つのタイプに分けられると思う。

  • 一つ目は「状況を把握できていない」タイプである。非構成エンカウンターグループについて理解できておらず、発言をしていいものか、この沈黙には意味があるのかといったことを考えてしまう、「空気を読みすぎてしまう」がゆえに沈黙が続いてしまうというタイプだ。
  • 二つ目は「特に発言する内容を持ちあわせていない」タイプである。発言していいことは分かっているが、あえて沈黙を破ってまで発言するほどの発言したいこと、問いたいことなどが湧き上がってきていないタイプである。
  • 三つ目は「あえて発言しないという意思決定をしている」タイプである。それは、沈黙だからこそなされる観察に意味を見出していることもありうるし、ここまでの長さの沈黙を経験したことがないのでこの先を見てみたいということもありうる。また沈黙が思索に適しており、場から離れて内省をしているために、沈黙が心地好いということもある。

沈黙を破るということは、以上の三つのタイプのどれにも属さないということで、非常に難しいことである。その難しさを逆手にとって、沈黙はデザインされているのだ。

 


<沈黙のデザイン効果>

さて、以上のように、その効果は対話の場においてとても大きいのではないかということを感じた。僕がとりあえず思いつく、対話の場での沈黙のご利益は以下の二つに集約されるだろう。

  • 第一に「沈黙」が場を支配することによって、徹底的な観察をすることができる。沈黙の場で、場への集中が求められることで、いやがおうにも、誰かを観察せざるをえなくなる。近代社会は、言語という記号でのコミュニケーションが反乱している社会であるから、言語を介さずに観察することによって、相手の、そして人間の、普段は思いを巡らせもしなかった習性や特性が見えてきて、非常に学びになる。また、その後、言語コミュニケーションが始まったときに、相手の思っても見ない相手のことを知っている(動作は無意識であることが多い)がゆえに、それと関連付けて相手のことをより深く理解しやすくなる。
  • 第二に「沈黙」の間、深い内省に入ることができ、しかも場から離れることはできないために、非言語的コミュニケーションを受け取るのでなければ、徹底的に思索をすることになるだろう。ぼーっとしているだけでも、何らかのアイデアが浮かぶかもしれない。これは、普通のワークショップではことさらに発言をすることが求められ、中身のない「おしゃべり」になってしまう可能性が大きいのと対照的に、のちの対話の時間を濃いものにすることに繋がっていく。

実際に、僕は、この沈黙の中で、自分は思ったよりも照れ屋であって人と正面から向きあえていないのかもしれないということや、大人になるということは内在化を避けられないと知りつつも外在化をしてみようとすることなのではないかということについて思索することができた。また、観察することによって、人間が緊張しているときに無意識にしてしまう動作のことや、場が整ってきたときには不思議と皆が同じような姿勢をすることなどを知ることができた。


 

<まとめ>

このように、「沈黙」が「対話」になるだけではなく、「沈黙」は「対話」を準備する。それは、今までのワークショップや学びの場をデザインする上であまりなかった視点であり、考慮に入れることでより深みのある場が創れるようになるのではないか。次回は、そんな沈黙によって準備された最初の問いについて考えていく。最初に対話の場が始まったとき、その始まりの問いは「何かやり残したことがあるのか?」であった。初体験の非構成エンカウンターグループの中盤は、「やり残したこと」をキーワードに幕を明ける。


<Back Number>

ただ座るだけのワークショップ!? 非構成エンカウンターグループとは?

「沈黙」のデザイン論 (非構成エンカウンターグループで起こったこと1)

「やり残したこと」ありますか? (非構成エンカウンターグループで起こったこと2)

なんのために問いを立てるのだろうか? (非構成エンカウンターグループで起こったこと3)

非構成エンカウンターグループ、NVC、瞑想、マインドフルネス、ストーリーテリング、観察…。学びの「場」をジョハリの窓を用いて分析する!!

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中