出会ったり別れたり錯覚してみたり

 

はじめに言っておくと、これは備忘録だ。結論もクソもない、ありふれた日常の断想。

 

***

 

野暮用でマルイに行こうと思い立って、久しぶりに高尾山口方面の京王線に乗る。

府中駅を降りて下りの階段にさしかかったとき、懐かしい気配にぶわっと取り囲まれた。塾だ。“いつもの”風景だ。

 

わたしは大学1年の夏から2年の夏まで、飛んで2年の冬から3年の夏まで、府中にあるとある個別指導塾で塾講師のアルバイトをしていた。自転車で通っていたりもしたが、たいてい電車で通勤していた。特にこんな風に、暑い日は。忙しい時期はほぼ毎日と言っていいほど働いていたので、必然的にこの景色はなじみ深い。バイト以外で府中方面に来ることはほとんどないので、ほんとうに久しぶりだった。それでもあの下り階段を、瞬間的に、本能的に、“いつもの”風景だと感じていた。

塾とは逆の方向の改札を出たところで、あれ、府中にあるのはマルイではなく伊勢丹だったなと思い至る。どうしてマルイが府中にあると勘違いしていたのだろう。苦笑いしながら、すぐに引き返す気もおきないので昼ご飯でも食べることにする。せっかくだから、塾時代によく行った店にでも行こうかな。ラーメン屋……暑い。中華……気分じゃない。そもそも食欲があまりない。そうだ、駅のすぐ下のファーストキッチンに行こう。授業前に小腹がすいたときは、必ずあそこでポテトの焦がしバター醤油Mサイズを頼んでいた。それでいい、そうしよう。

代わり映えしない店内の奥の席で、相変わらずの味のポテトをほおばる。わたしは少しばかり安堵していた。そしてぼんやりと、塾で働いていたときのことを思い出す。

 

いま振り返ってみても、あの頃はあの頃としてわたしの大事な青春だった。毎日のように受け持ちの生徒と向き合って、同僚と夜な夜な話し込んで。熱意に充ちていたし、我ながら先生としてのセンスもそれなりにあった。エースと言うとあまりにおこがましいけれど、少なくともアルバイトの講師陣を引っぱる立場にあることは自覚していた。実際、リーダーを任せてもらったりもした。

バイトを辞めるとなったとき——それはつまり秘密基地での仕事がもっともたいへんだった頃だ——、苦渋の決断ではあったけれど、迷いはなかった。中途半端な気持ちで生徒に向き合うくらいなら辞めたほうがいいと本気で思っていた。校長には(おそらく何度か)考え直してほしいと言われた。ほんとうにお世話になった人だった。この人を裏切ってはいけないと思っていた人だった。それでもわたしは辞めた。出勤最後の日、いつも玄関まで見送りに来る彼は、デスクのところから頭を下げただけだった。後に諸々のご縁あって復職したあとで、彼は言っていた。「あの日は気持ちの整理がつかなくて見送れなかった。悔しかったし、名残惜しかったし、つらかったんだ。ごめんな」。

校長は日々どんなことを考えながらあの仕事をしているんだろう。あの場所は別ればっかりだ。昨日までたのしく通っていた生徒は次の日には平気で辞めるし、バイトの大学生も、ときに同僚だって不意に辞めていく。日々の仕事が忙しすぎて別れがつらくないなんて、そんなことはないだろう。中3の合格祝賀会の日、受かった生徒たちと講師たちがどんちゃん騒ぎをするさなかに、落ちた生徒を思ってバックヤードで静かに泣いていた彼と、あの日デスクから別れを告げた彼の姿が、わけもなくリフレインする。

 

ポテトを食べ終えたところで、ロト6を買おうと思い立つ。ファーストキッチンのすぐ近くに宝くじ売り場があって、一時期ハマって買っていたものだった。テキトーな願いをこめて、テキトーな数字でも塗ろう。

けれど、宝くじ売り場はしまっていた。それどころか、のぼりも看板もすっかりなくなっていて、よく見るとそのビル自体が工事中のようだった。そんな些細なことが、容赦ない時間の流れを教えるのには十分だったりする。

塾を見上げる。あの場所はもうわたしにとって、“いつもの”場所ではない。

 


 

 

府中駅の方から戻ってきて、免許の更新に行くことにした。更新と言っても、半月ほど前に失効してしまったものだ。うっかりしていた。免許更新のハガキがなぜか届かなかったことが、少しだけ腹立たしい。

府中の運転免許センターまでは、自転車で行ける距離だ。一番の近道は、多磨霊園を突っ切ること。久しぶりだな、今日は気持ち良さそうだな、と思う。夜はこわいかもしれないが、夏の多磨霊園をサイクリングすることは、実はとっても爽やかで心地いい。人生このかた幽霊とやらは見たことがないので、別にそのあたりについてどうこうは思わない。

多磨霊園はすごく広い。そして綺麗に区画分けされている。だから、両側に木々の植わるまっすぐな道をひたすら走ることになる。

見渡す限り、墓、墓、墓。古いの、新しいの、大きいの、小さいの、四角いの、丸いの。たくさんの家の名前が流れていく。明石家、という墓石が目に入って一瞬「あかしや」と読んだけれど、十中八九「あかし/け」だろう。明石さん。わたしと人生を交えることなく、どこかで生まれてどこかで死んだ、明石さん。

 

今年の5月ごろ、なんとなく大学前の横断歩道が苦手だった。いや、正確に言うと、いつも不思議な気分にさいなまれた。うちの大学の大半の生徒が通ると言っても過言ではないその横断歩道は、休み時間前後には帰る生徒と向かう生徒でいっぱいになる。4年生にもなると——そしてうちの大学の場合7割ほどが留学に行ってしまうので同期はこの時期そもそも日本にいなかったりする——、いわゆる「友達」に会うことは稀だ。だからその横断歩道に群がる人影の中に、積極的に挨拶したくなるような人はほとんど見受けられない。

けれど、いやだからこそと言うべきか、「知り合いとも呼べない知っている人」がやたら目につく。かつて野球部時代に勧誘したけれど結局入らなかった後輩、授業で一緒だった聴講生のおばちゃん、新歓の二次会で同じ先輩の家に送り込まれた男の子。彼らのことを、わたしは『ニアピンで人生を交えなかった人たち』と呼んでいる。彼らとは、なにかがいまとズレていたら、ひょっとしたら、とても仲良くなれたはずだ。仲良くなる可能性があった。その証拠に、と言うと変かもしれないが、野球部に結局入らなかった後輩のSくんとは、その後交流はなかったけれど、とある授業で一緒になってそこからふたりで飲みに行くまでの仲になった。Sくんと、あの横断歩道ですれ違う『ニアピン』の彼とは、いったいなんの差があろうか?どうしてこうなったのだろう。どうしてこうなっていくのだろう。『ニアピン』の彼らと今後仲良くなる余地はあるはずなのに、どうしてわたしは「交えなかった」「可能性があった」と過去形で感得してしまうのだろう。

そんなことを考えながらあの横断歩道を渡っていると、ついつい『ニアピン』の彼の顔をまじまじと眺めてしまう。もちろん彼はこちらに気付かない。眉ひとつ動かさぬ表情で歩く彼は、どこかロボットじみて見えた。不本意に心臓のあたりを換気されるような、どこか快い感じさえする不気味さが、苦手だったし不可解だった。

 

自転車のスピードをほんの少し上げると、墓石の名前がギリギリ見えない程度にお墓たちが流れていく。いまお墓に入っているということは、わたしとはニアピンどころか時代さえ交えなかったかもしれない人たちだ。人、人、人。わたしの視界を流れていくのはお墓であり、人だ。

人と人は、そもそも人生を交えることなどないのではなかろうか。はじめから、こうやって「すれ違う」だけだったのではないか。いったいいつからわたしは、あいつと人生を交えているなんて錯覚していたんだろう。あいつはわたしとすれ違うつもりしかなかった。そしてすれ違っていった。きっとわたしもどこかで同じことをしている。明言しないだけで。自覚しないだけで。あの子と交わったような顔だけして、容赦なくすれ違っている。「もうきみとは終わりだね、じゃあね」。

 

「またね」が言えることは奇蹟だ。それがたとえ、ただの祈りでも。また会うことはないとしても。うっかり存在してしまっているわたしたちが、うっかり出会って、うっかり人生をすれ違えただけで、次に出会ったときはもうわたしはわたしではないかもしれないし、あなたはあなたではないかもしれないのに、それでもそこにささやかな期待と祈りを込めて、「またね」が言える。社交辞令でも皮肉でも形だけの口約束でもなくて、過去にも未来にさえも投げかけられてはいない、ただ<いま><ここ>にある、「またね」。それをほんとうに言える相手がいるならば、きっとわたしは死んだっていいと思うんだ。ひどく矛盾しているかもしれないけれど。

誰と会うときも、予期せぬ死別を考えるといつだって最後になりうる。わたしたちはたえず「じゃあね」を繰り返して、すれ違っている。でもときどき「またね」と言いたい人が現れて、そんな人とは何度も何度もすれ違って、それは漸近線のようにしばらく寄り添いあう。そしていつか、線は離れるか切れるかする。そんなものだ。その程度のものだ。だからきっと、とてもうつくしくて、尊い。

 


 

 

今日は聖地巡礼をする日なのかもしれないと勢いづけて、ほんとうにしばらくぶりに駒場へ足を運んだ。言わずもがな秘密基地がまだおうちを持っていた頃、亀岡や杉山やその他多くの人と住んだり入り浸ったりしていた、つまりわたしにとっての大学生活最良の時間を過ごした場所。期間にすれば半年、体感にすれば永遠にも一瞬にも似た時間を過ごしたあの家。

約2年前にあの家を引っ越してから、何度か駒場に出向いたことはあったけれど、どれも東大での用事だった。それはつまり駒場東大前駅の改札を出て左に向かうということで、家に向かう右の方ではなかった。そっくりそのまま引っ越し以来、改札を出て右手の階段を降りる。

今日のこんな調子では、すぐにでも泣いてしまうのではないかと思った。けれど予想に反して、わたしはこわいほど穏やかだった。嵐の前の静けさにも似ていて、むしろおののいてしまうほどに。

踏切が鳴る。この踏切は朝のラッシュの時間帯、井の頭線の上り下り急行各停が入り乱れてなかなか開かない。だから遅刻したくない朝は家の前のY字路を左手の方に進んで、踏切を回避するのが吉だった。駅の方に出るための階段がいささかきつくて、結局わたしはだいたい踏切を待つ方を選んだのだけれど。

そんな踏切を渡って、線路沿いに坂を下る。遠くに三井不動産のビルがどしんと構えている。左手には、どことなく裕福そうな民家。変わらない。

ゴールのお家は、当たり前に相変わらずに、風変わりな形をしてそこに建っていた。三角の狭い土地にむりくり作ったであろうくせに、妙にデザインを凝ってしまったがゆえ、間取りや形状が民家にまったくもって不向きな、全体的に真っ白な家。

一見、人の気配が感じられなかったので、いまは空き家なのではないかと淡く期待した。期待したところで、この家に戻ることなんてぜったいにないのだけれど。近づいて真っ正面から見据えると、台所の小さな小さな窓——ほんとうに小さくて開けたことはほとんどない——のところに、アルミホイルの箱が見えた。さほどがっかりはしなかった。元カレにいまやすでに長く続く彼女がいると知って、ふうんというくらいのソレ。

家の前をウロウロするのは不審なので、周辺を散歩することにした。先ほど降りてきたY字路の左を行く。高架からはあの頃と変わらず謎の水がしたたり落ちていて、地面のアスファルトを濡らしていた。その光景に、なぜか家を前にしたときよりも、胸を締め上げられるような感覚に襲われた。

ふだん買い物をしていたまいばすけっとに立ち寄る。適当な懐かしいものでも買おうと思ったからだ。けれど店内をひと回りすると、もはや懐かしいなんて悠長な言葉では処理しきれないほどのなにかにとらわれていた。混乱と呼んでも差し支えないなにかだった。

店主がたいてい絵を描いている美容院。左に折れると美味しいガパオライスの買える路地。目黒駒場郵便局。誰かの誕生日パーティーのときケーキを注文したケーキ屋。一軒ものみたいな顔して実はチェーン店のキッチン南海。名も知らぬパン屋。やたら高級そうなマンション。唐突に現れる古本屋。まいばすの閉まった夜中にアイスを買いに行ったセブンイレブン。ごはんを作るのが面倒になったらときどき出向いたカレーを売りにしたカフェ。

ひどくゆっくり歩いた。歩みを進めるたびに、打ちのめされると言っても過言ではない衝撃を受けた。あの店もあの建物も、見れば一瞬で思い出が湧き上がるのに、その思い出たちは見るまではすっかり記憶の宇宙の彼方にあった。忘れていたということを、その数分ですっかり思い知らされてしまった。

それはもしかしたら、覚えていたと言いうるのかもしれない。けれどわたしは痛烈に、一度失ったものを掘り起こしてきたような感覚を拭えなかった。

 

失うのがこわいと、わたしはことあるごとに言っているような気がする。特に思い出、記憶に関して。一切合切を覚えていたいと本気で思う。それは大切な誰かとの宝物だし、わたし自身を強くかたどりうる軌跡だからだ。実際にほんとうに記憶力のいい友人から言わせてみると、「他人の発言とか逐一覚えてると、相手の矛盾とかにすぐ気付いちゃってけっこうしんどいよ」らしいのだが、それでもいいから覚えていたい。それは裏返せば、失うことがめちゃくちゃにこわいということだ。なにを失ったかさえ、わたしたちは見失ってしまう。

「失うのがこわいなら、はじめから持たなきゃいいのに」。自分の中の誰かが言う。まっとうすぎてぐうの音も出ない。失いたくない失いたくない、そう言いながらたいていわたしは両手で抱えきれないほどのさまざまを持とうとする。あれもこれも大切で、手元にたぐり寄せてしまう。

忘れてしまうことを極度に恐れながら、わたしは日記を書かない。中学高校は書いていたが、それ以降は思い立っても続いた試しがない。それはわたしの中での最大の矛盾と言っても差し支えない。記憶の保存において言語化のプロセスを挟みたくないというのはひとつ大きな理由だろうが、もしかするとわたしは、無自覚のうちに調整をはかっていたのかもしれない。持ちすぎないように。抱え込みすぎないように。ただでさえ過去に引きずられがちなタチと、うまく折り合いをつけながら生きられるように。

 

先の「交わる」話と同じように、わたしは「持っている」と錯覚しているだけなのかもしれない。世界は実は5分前に神が創造したんだなんて話は、小気味よくて大好きだったりする。5分前に神がそういう記憶をわたしに植え付けただけで、わたしはもともとなにも持ってなんていなかったのかもしれない。

過去も未来もない。あるのは果てしない「いま」の連続だ。さいきんそういう感得の仕方ができるようになった。ある人には、「いいね。それはきっとこどもの感覚だよね」と言われた。こども。刹那的に生きるというのとは少し違う、もっと前のめりで、それでいてどっしりと腰を据えているような。

だいじょうぶ、わたしはきっとこれからもちゃんと「いま」を重ねていけるよ。

強がりは長続きしないけれど、たまにそう祈るくらいなら、続いてくれるかしら。

 

時間にしてみればあっという間のお散歩だった。はじめはUターンして長い階段を上ろうと思っていたけれど、やめた。マクドナルドの前の改札から、帰りの方面のホームに向かう。

「また来るね」。

 

***

 

 

どこかで矛盾したことを書いたかもしれない。それでもいいと、いまなら言える。

「どうしてわたしは彼になれなかったんだろう」。

わたしはずっと惑わない人に憧れていた。いや、きっと、これからも憧れてしまうのだと思う。

それでもたぶん、やっぱり惑う方が性には合っているんだろう。惑うことのできる人間は、“ひらかれている”。まだ見ぬあなたと「すれ違えるように」、わたしはひらけていたい。一度離れた漸近線が、また近づくような可能性を、静かに秘めながら。

 

 

強がりガールの意地の断想、これにて終幕。すみれでした。

 

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中