あの日、原爆が落ちたということは、いま、思い出して祈るというのは、どういうことなのか?

【※衝撃的な画像や表現の多い論考になっています。】

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71年まえの、8月6日、広島に原子爆弾が投下された。

それを今、多くの人は思い出し、祈っている。

それはいったい、どういうことなのだろうか?


黙祷をするのは、いつも決まって8時15分だ。

なぜなら、それが、原子爆弾が投下された時刻だから。

しかし、実はそれが事態をややこしくしているのではないか?

そもそも、何に対して僕らは祈っているのだろうか。

ただ、目を閉じて、「喪に服している」「良心的市民」を演じるために、祈っているのではないか。

広島でずっと生きてきた僕にひっかかっていた小骨を言語化すると、そのようになると思う。


さて、原子爆弾はそもそもなにが「悪かった」のだろうか。

たくさんの人間が亡くなったからだろうか。いや、そうではない。それでは、亡くなった人間を数のうちに数え上げて、代替不可能性を失わせてしまう。

放射線が残ったからだろうか。いや、そうではない。放射線は極めて現代的な問題ではあるが、その自然現象が直接「悪」となるまでには、もう一段階の根拠が必要だ。

それでは、いったいなにが「悪かった」のだろうか。

この問いを問うことで、原子爆弾の投下とはなにだったか、が見えてくるだろう。


ジョルジョ=アガンベンの「アウシュビッツと残りのもの」が、この問いに接近するための、最良のコンパスになる。この本のなかで、アガンベンは、次のように述べている。

現代の人々が妥当なものと認めることができると信じている倫理の原理のほとんどどれも、最後の試練、すなわち〈アウシュビッツの流儀で証明されたエチカ〉として通用するための試験に耐えられたなかった。

ジョルジョ=アガンベン. アウシュビッツと残りのもの. pp.10

アウシュビッツは、通常の生活では思ってもみなかった倫理の基準、すなわち、人間が極限状態においても踏み越えてはいけない一線があることを、われわれに教えてくれる。「人を殺してはいけない」というのは確かに正しい。しかし、その先に、通常の生活では話題にならない倫理の基準がある。それは、アウシュビッツのみならず、広島にも通用する。

それでは、その基準とはなにか。アガンベンは、「哲学は正規のものとなった極限状況のもとで見られた世界というに定義されうる」(pp.63)と述べ、哲学でその極限状態に接近してゆく。アガンベンは、その手がかりを「言語を絶している」「書き表せられない」という、不可思議な状況を考察することで求めていく。孫引きになっていまうが、アガンベンの考察の核心部分を引用しよう。

証人たちは、定義上、生き残った者たちであり、したがって、その全員がいくらか特権を享受しているのだ。〔……〕普通の囚人の運命については、だれも語っていない。というのも、普通の囚人にとっては、生き残ることは物理的に不可能だったからである。(Levi)

その体験をしていない者たちは、それがなんだったのかを知るすべはない。その体験をした者たちは、もうそれについて語ることはない。本当に、どこまでも語ることはないのだ。過去は死者たちに属している。(Wiseel)

生き残って証言する者は、本当の証人ではない。わたしたち、生き残った者は、わずかな少数者であるだけでなく、例外的な少数者である。わたしたちは、づ生ゆえに、あるいは、幸運のゆえに、底に触れることのなかった者たちなのである。底に触れたもの、ゴルゴンを見てしまった者は、戻って語ることはなかった。(Levi)

ここで、アウシュビッツの生き残りによって証言されていることは、この世で最も冷徹な真実のうちの一つである。それは、死んでしまったものは、定義上、証言できないということである。さらに、生き残ったものは、定義上、もっとも苛烈なものに触れていないということである。両者をかけあわせると、最も苛烈で、記憶に残しておかなければならないものは、証言できず、歴史から消え去ってしまうということである。

これは広島でも同じだったのではないだろうか。皆、8時15分に黙祷をするが、それは正しいのだろうか。最も苛烈だったのは、原爆直後ではないのではないだろうか。

それを確証するかのように、アウシュビッツでの証言が続く。アウシュビッツで、最も苛烈だったものたちは、「回教徒」と呼ばれていた。アガンベンは、その姿を記憶によみがえらせる。

(回教徒は)よろよろと歩く死体であり、身体的機能の束が最後の痙攣をしているにすぎなかった。(Amery)

回教徒は、だれの憐れみの情をかき立てることがなく、だれの同情も当てにすることができなかった。(Ryn et Klodzinski)

回教徒、沈んでしまった者たちこそが、収容所の中枢である。神の火花が自分のなかで消えてしまい、本当に苦しむことはできないくらいにすでに空っぽになっているため、無言のまま更新し、働く非―人間たちの、たえず更新されてはいるがつねに同一の匿名のかたまりこそが、収容所の中枢をなしているのだ。かれらの死を死と呼ぶのはためらわれる。(Levi)

広島にも、このような状況は確かにあった。ただし、それは原爆直後ではない。「アウシュビッツと残りのもの」における倫理基準に照らせば、8月6日の8時15分に原爆投下とともに融けて消えいった人間よりも、むしろ非人間化的人間が生み出されたことにこそ、倫理的に最大の問題があるのだ。だから、祈り、想起されるべきは、8時15分よりも少しあと、今くらいの時間になるだろう。

今の時間、71年前のこの時間こそ、人類がこの世で地獄をみた一瞬だったことを記憶に刻みなおそう。そしてアガンベンのいうとおり、地獄に最も近かったものは、定義上、生きて帰ってきて証言できなかったことを思いだそう。それだけが8月6日の広島が特別な意味を帯びていることの根拠になるだろう。

8時15分より少しあと、それの71年前。この時間帯で、広島にどんな光景が広がっていたか。原爆資料館にいくことは、この問いを頭に浮かべながら、想起すること、記憶に再び刻みこむことを目的として以外にはありえない。言葉を失い、感情もうしなった、ゾンビのような人間がうごめいていた広島。その光景を思い出して、記憶に刻みなおすこと。それこそが「祈り」にほかならない。

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祈りの定義は、もう届かないなにかに向かって思いを馳せることである。だから、神に祈るでも、死者の冥福を祈るでも、平和を祈るでもいい。そこには、広島の「回教徒」が媒介にならなければならない。そうではなければ、8月6日に祈ることの意味はない。

だから、定義上、「祈る」ことは「問い続ける」ことである。この定義を明確に示している詩があるので引用しよう。この詩の最後にある「なにを べんきょうしたら タツヤくんは いきのこれたか ぼくは さがしているんだ。」という一文こそが、祈りの象徴である。本来であれば、祈りとは、このようなものである。神妙な顔をするのは、その結果にすぎない。

べんきょう べんきょう べんきょうしなさい

おとなたちは そういっていた。

タツヤという 男の子の 頭の うえにのって

ぼくは いっしょに 中学校に かよったんだ。

8月6日の あさ

じゅぎょうが はじめる まえに

校庭で ともだちと しゃべっていたら

ピカアアアアアッと 光った。

ぼくは へばりついて タツヤくんの

頭をまもろうとしたんだ。

でも 頭ばかり まもっても

いきのこれない。

なにを べんきょうしたら タツヤくんは

いきのこれたか

ぼくは さがしているんだ。

アーサー・ビナード. さがしています.
2012年7月20日. 童心社. pp.26.

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8月6日。歴史上、確かに、人類が地獄をみた日の一つである。

誤解を恐れずにいえば、8月6日は幸福な日である。というのも、少なからず、生き残ったものがおり、その証言によって記憶のよすがが与えられたのだから。そして、祈ろうと、記憶しようとする人間が、世界中にいるのだから。

逆説的ではあるが、この幸福こそが、僕らが背負って生きていかなくてはならない十字架なのだろう。人間ではないのにも関わらず、生きてしまったいた、非人間的な人間が、広島にもいたこと。最後の希望を求めて川に飛び込んで死に、黒い雨がふってきたらそれを口に入れて死に、あるいは、川まで辿り着かず、よろよろと道端にもたれかかって死んだ人間が、そこには数えきれないほどいたこと。そして、それらの人間は、記憶もなく、言葉もなく、感情もなく、僕らになにかを残してくれることは決してなかったということ。それらを外から眺めて、奇跡的に生還したものが、靴の上からかゆい所をかくように、あくまで間接的に僕らになにかを残してくれるにすぎないこと。

それを思い出し、記憶し、祈り、問い続けること。そこでこそ、「幸福な生の教え」としての倫理に立ち返ることができるだろう。僕たちの生活は、パラダイム的同型性をもって、広島とも、アウシュビッツとも、極めて親しいところにいるからである。

(ゾルダーコマンドは)裸の囚人たちをガス室の処刑場に導いていって、囚人たちの順番を守らせなければならなかった。それから、青酸の働きによってバラ色や緑色の染みのついた死体を外に引きずり出して、水の噴射でそれを洗い、からだの開口部に貴重品が隠されていないかどうかを調べ、口から金歯を抜き取り、女性の髪の毛を切り取って、塩化アンモニウムで洗わなければならなかった。さらにそれから、死体を火葬場まで運び、それがよく燃えるように気を配り、最後に、炉に残った灰をかたづけなければならなかった。〔・・・〕

(ゾルダーコマンドは)(サッカーの)試合を観戦し、選手たちを応援し、賭け、拍手喝采し、声援を送る。それは地獄の門の前ではなくて、まるで村のグラウンドで試合をやっているかのようだった。(Levi)

〔・・・〕この試合、この一見してごく平常の瞬間は、収容所の真の恐怖を物語っているもののように映る。〔・・・〕というのも、わたしたちはひょっとすると、虐殺はもう終わったものと考えているかもしれないからである。〔・・・〕ところが、試合はけっして終わっていない。〔・・・〕その試合は、わたしたちのスタジアムでおこなわれるあらゆる試合のうちで、あらゆるテレビ放送のうちで、日常のあらゆるありきたりなもののうちでくり返されている。わたしたちがその試合を理解し、それを止めさせることができないかぎり、希望は絶対にないであろう。

アウシュビッツの残りのもの. pp.26-29.

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